探偵学園Q第4話「この問題が10分以内に解けなければ・・・」

探偵学園Q」第4話で次のようなシーンが登場する。
全寮制の学校の特進クラスという感じのネタのつもりなのだろうが、数学担当の女教師が次のように宣言する。

「これは東大の入試問題よ。10分以内にこれが解けなければ、このクラスの授業にはついてこれないわ。」

そんな授業を高校でやれるもんならやってみろと言いたいところだが*1。ともあれ、取り上げられたのは、2001年度の入試問題

である。初めに断っておくが、この問題は東京大学の前期試験数学の問題としてみると、極めてやさしい部類に属している。少し問題の与え方が通常の頻出形とは違うが,要するにf(x)の決定問題だと見れば,積分方程式の形で与えられた関数決定の問題は、東大に限らず入試頻出の典型問題と言ってよい。受験を控えた生徒の中には10分程度で片付ける者もいるかもしれないし、20分から25分程度の時間で確実に解けなければ、実際の入試でもややハンデを背負うことになる問題である。

解答例を紹介する前に、ドラマのストーリーを追っかけてみることにしよう。

山田涼介演じる天草リュウが颯爽と黒板に向かう。

そしておもむろに解答を黒板に書き始めるのだ。

途中、何箇所か黒板が映し出されるシーンが挟み込まれ・・・



答案が完成する。
「先生、これでいいでしょうか。」
と言うリュウ

完璧だわ。

となぜか少し悔しそうに答える女教師。そしてリュウはまた颯爽と席に戻るのであった。

さて、ドラマの中で映し出された黒板の映像3枚から推測すると、天草リュウのとった解法はおそらく次のような方針であったと思われる。

まず
A=\int_0^{2\pi}\cos{y}f(y)dy,
B=\int_0^{2\pi}\sin{y}f(y)dy
とおく.
次に,題意の積分方程式中にある\sin(x+y)\cos(x-y)を加法定理で分解してxに関する項を積分の外に取り出すことで、
f(x)=\left(1+\frac{aA}{2\pi}+\frac{bB}{2\pi}\right)\sin{x}+\left(1+\frac{aB}{2\pi}+\frac{bA}{2\pi}\right)\cos{x}
と表せる.
これを冒頭のA=,B=の式に代入すると、積分の計算
\int_0^{2\pi}\cos^2{y}dy=\int_0^{2\pi}\sin^2{y}dy=\pi
\int_0^{2\pi}\sin{y}\cos{y}dy=0
を用いて、2つの等式
A=\pi+\frac{aB}{2}+\frac{bA}{2}
B=\pi+\frac{aA}{2}+\frac{bB}{2}
が得られる。これをA,Bについて整理すると
\left(1-\frac{b}{2}\right)A-\frac{a}{2}B=\pi
-\frac{a}{2}A+\left(1-\frac{b}{2}\right)B=\pi
というA,Bについての連立一次方程式が得られる.
2式を足すと
\left(1-\frac{b}{2}-\frac{a}{2}\right)(A+B)=2\pi \cdots (*)
であり,2式を引くと
\left(1-\frac{b}{2}+\frac{a}{2}\right)(A-B)=0 \cdots (**)
である.そこで,
Case.1 \left(1-\frac{b}{2}-\frac{a}{2}\right)=0の場合.(*)からA,Bは存在せず不適.
Case.2 \left(1-\frac{b}{2}-\frac{a}{2}\right) \neq 0かつ\left(1-\frac{b}{2}+\frac{a}{2}\right)=0の場合.(**)は任意のA,Bについて成り立つことに注意すると,(*)からA+B=\frac{2\pi}{\left(1-\frac{b}{2}-\frac{a}{2}\right)}をみたすすべてのA,Bが解になるので不適.
Case.3 \left(1-\frac{b}{2}-\frac{a}{2}\right) \neq 0かつ\left(1-\frac{b}{2}+\frac{a}{2}\right) \neq 0の場合.(*),(**)を解くと,
A=B=\frac{\pi}{\left(1-\frac{b}{2}-\frac{a}{2}\right)}
となってただひとつ存在する.

このとき,
f(x)=\frac{-2}{a+b-2}(\sin{x}+\cos{x})
なので,これは0 \le x \le 2\piで連続になっており条件に適する.

さて、次の画像をよくよく見ていただきたい.

左端に見えている\frac{6A}{2\pi}とは何であろうか.上の解法に「6」という具体的な数字が現れる余地はない.天草リュウの答案は間違っているのだろうか.
もう一枚の画像を見てみよう.

3行目の=の後に見えている\frac{9A}{2\pi}とは何であろうか.上の解法に「9」という具体的な数字が現れる余地はない.これは何を意味しているのか.

上で紹介した解答の方針を見れば、この疑問にはすぐに答えられる.「6」とは「b」の書き間違えであり、「9」とは「a」の書き間違えである。

しかも事は単なる書き間違えだけでは済まない.
上の画像をよく見てみると,第1行目と第2行目で積分内からxに関する項を取り出す操作を行い,第3行目でf(x)A,Bを用いた表示を得ている.
そして第4行目で答に至る.
おかしい。これは大変におかしい.
f(x)=の式をA=,B=に式に代入することで,A,Bの連立一次方程式を得る部分がすっぽりと抜け落ちているのだ.このタイプの問題を解くために必要な大きなパートが抜け落ちている.
実は黒板の右の方にその計算があるのだろうか。答は否だ。

上の画像からわかるように,「f(x)=・・・と表せる。」の右側には何も式はない.そして次の行で答案が完成しているのだ.連立方程式を導く部分は黒板の上にはない。

冴えわたる天草リュウくんはこの部分の計算を頭の中でやって答だけを記しているのだろうか.しかし「f(x)=」の式を導く(せいぜい加法定理による分解しか使わない計算の)ために3行もの式を書かなければならなかった人が,\sin^2{y},\cos^2{y},\sin{y}\cos{y}積分や連立一次方程式の導出を頭の中でできるなどとは、普通は考えない.


そして最後の最後に「aet」などというなぞの文字列が登場する.
これは一体なんであろうか.

この疑問も大学生以上の人ならすぐに理解できる.
aetとは,行列式を表す\detの書き間違えなのである.*2天草リュウくんはここで,次のことを利用している.

A,Bについての連立一次方程式
\left(1-\frac{b}{2}\right)A-\frac{a}{2}B=\pi
-\frac{a}{2}A+\left(1-\frac{b}{2}\right)B=\pi
が唯一つの解を持つための必要十分条件は,A,Bの係数を取り出して出来る2\times 2行列
\left(\begin{array}{cc}\left(1-\frac{b}{2}\right) & -\frac{a}{2} \\ -\frac{a}{2} & \left(1-\frac{b}{2}\right)\end{array}\right)
行列式が零ではないことである.

これはもちろん正しい.が,普通高校生はこのようなタイプのことをまともには習わない.事実として知っている人はいるかもしれないが,証明すべき事柄であると考えるのが普通である.
例えば,十分性は,逆行列を両辺に左からかけることで説明できる.行列式が零でなければ解は存在して唯一つだ.問題は行列式が零のとき,解がどうなっているかである.結論としては,解が存在しないかあるいは無数に存在することになる.ここが正確に議論できなければこの問題の解答として不十分であることは言うまでもない.上に掲げた解答の方針では,きちんと場合分けをして示している.

実は,赤本の解答なども,上の事実を認めて解答しているし,入試の試験場では,その証明に時間を費やすよりも,他の問題に時間を書けたほうが良い場合もあるということは事実だろう.しかし,高校の数学教育の現場では,そうした配慮は無用だ.\detaetなどと書き間違えている人の場合,単にどこかで習った事柄だけを丸暗記している可能性が高い,と普通は考える.まともな教師なら,「必要十分であることの証明はできますか.」とたずねるべきである.

長々と「推理」と「数学」を積み重ねてきたが、結局わかったことは次のことだろう。

  1. 天草リュウは,a,b9,6と書き間違え,連立方程式を導く議論を完全に書き漏らし,あまつさえ\detaetなどと書き間違える.彼の答案を見る限り,彼はその場でこの問題の計算を実行したのではなく,どこかでこの問題の解き方や解法を丸暗記していて、それを黒板に書き付けていただけだという可能性が高い.行列式が零でないということと解が唯一つ存在するということの必要十分性もどこかで見聞きしたものだろう.天草リュウは数学的思考力がずば抜けているわけではなく,丸暗記型の典型的受験生に他ならない.*3
  2. この数学教師は,a,b9,6の書き間違えにも気付かず,連立方程式を導く議論が抜け落ちているのにも気付かず,あまつさえ\detaetと書き間違えていることにも気が付かない.そして行列式が零でないということと解が唯一つ存在するということの必要十分性に対する注意さえ怠っている.そんな答案を「完璧」などと言ってしまう.この女教師は無能だ.この東大の問題を10分以内で解けるような生徒に授業が出来るような能力の持ち主ではないことは明白である.*4

*1:あとの解答例を見ればわかることだが,この問題を解くためには,sin^2{y},\cos^2{y},\sin{y}\cos{y}の定積分が計算できなくてはならない.3番目は奇関数だからと逃げることもできるが,sin^2{y},\cos^2{y}積分には\cos{2y},\sin{2y}積分が必要になる.しかしあとのシーンで,「今日は合成関数のところから・・・」というセリフが登場する.合成関数の微分法をやるまえにcos{2y},\sin{2y}積分を計算できるようにするのは,不可能ではないが,数III微積分を教える順序が少しおかしい.

*2:よーく見ると少し上が突き出しているようにも見えるのでdだと強弁することもできるかもしれない.しかし,積分の中身にあるdydを見れば,そんな強弁が通用しないことは明白である.

*3:当たり前のことだが,天草リュウを演じている山田涼介くんが、事前に黒板に書き付けるべき答を見せられ、覚えさせられたのだろう.それを正確に復元できなかっただけのことなのだろう.実は山田涼介くんが数学をあまり得意としていないことの現れではないか,というのは下衆の勘ぐりというやつだろうか.

*4:もう一つ難癖をつけておくと、この女性教師の黒板の字も,天草リュウくんの黒板の字もかなり汚い.この教師がある程度年季の入った教師なら,もう少し綺麗な字が書けるはずだ.天草リュウくんの颯爽とした振る舞いとこの黒板の筆圧の強い字とは相性が良くない.数学的に見ても,行列の書き方が特に酷い.\detの意味も行列であるということさえもわかっていないまま書き写していることが明白だ.いずれにせよ,出来る生徒の字とはあまり思えない.